進藤 美希
東京工科大学 メディア学部 教授
2021年10月23日
1.作品の創作
「バレエ・フォー・ライフ」("Ballet for life")は、20世紀を代表する振付家、モーリス・ベジャール(Maurice Béjart)(1927-2007年)が、1996年に、クイーン(Queen)とモーツァルト(Mozart)の音楽に振り付けたモダンバレエ作品であり、衣装はジャンニ・ヴェルサーチ(Giovanni Versace)が担当した。
ベジャールは、巨大なスケールとスキャンダルを恐れぬ作風が特徴であり、バレエを挑発し、革新し続けてきた振付家である1)。
ベジャールが「バレエ・フォー・ライフ」の作品を創作した1つ目のきっかけは、ベジャール芸術の体現者であったダンサー、ジョルジュ・ドン(Jorge Donn)の1992年の死である。ドンの死についてベジャールは以下のように書いている。:「ドンのことをまた想っている。・・リハーサル中もドンが入院しているということが頭を離れなかった。・・もう死期が迫っていた。毎日、メトロポール劇場とセシル病院を往復した。・・・1992年11月30日、月曜日、ドンはますます具合が悪くなった。11月30日、月曜日・・。ドンはその晩の7時から8時の間に死んだ。冬だった。暗かった。私が彼の腕を握りしめているうちに、彼は息絶えた。・・ドンは左手の小指に、私の母の婚約指輪をしていた。それは私が以前彼に託したのだ。・・ドンは、この指輪に私のどんな思いがこもっていて、私がそれをどんなに大切にしているかを知っていたので、それをはめて幸せだったのだ。・・私には、ドンが踊っているのが見える、生きているのが見えるのだ。ドンは舞台の上で死にたがっていた。だが、彼は病院で死んだ。」2)
作品創作の2つ目のきかっけは、クイーンの1995年のアルバムとの出会いである。ベジャールは以下のように書いている。:「フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)とドンはほとんど同年に死んだ。二人は非常に異なるパーソナリティを持っていたが、生と、自己表現に対する激しい欲求を持っている点で共通していた。・・それから私はモントルーの上に別荘を見つけた。かつて私を魅了した風景、レマン湖が一望できる眺めの前に腰を下ろした。数日後、クイーンの最後のアルバム、つまりフレディの死後に作られたものが発表された。その『メイド・イン・ヘヴン』(Made In Heaven)(1995)のCDのジャケットは、私が別荘で見た眺めと同じだったのだ。」2)。
2.作品のテーマ
「バレエ・フォー・ライフ」のテーマは、死、そして、生と性、生命の一瞬の輝きと、循環する生と死である。死、生、性は、ベジャールの生涯のテーマであった。彼は、「死は私のバレエのいたるところに存在している。・・人生には2つの大きな出来事があると言えよう。性の発見と死の到来である。その他のことは取るに足らないことだ。」2)と述べている。ドンの死に打ちのめされながらも、ベジャールは、「ドンは死んでいったが、私のカンパニーは生きねばならなかった。私は、あたかも作品を創ることが死に抵抗するための力になるかのように、創作を行った。ドンを死からまもるために創作を重ねた。」「クイーンを聞き、クイーンを食べ、クイーンを踊」2)りながら創作を行いなった。しかし、このバレエは、悲愴なものではない。「このバレエは、今も私の中を駆け巡っているたくさんの感情に結び付いている。私はこれを、陰気でも悲観的でもない、陽気なバレエだと思っている。これが死に関するバレエだと言わなければ、観客はそれに気づかないだろう。・・このバレエは、エイズに関するバレエではなく、夭折した人に関するものなのだ。」2)
作品は、夭折した人、すなわち、ジョルジュ・ドン(1947年2月25日 - 1992年11月30日、45歳、エイズにて没)、フレディ・マーキュリー(1946年9月5日 - 1991年11月24日、45歳、エイズにて没)、モーツァルト(1756年1月27日 - 1791年12月5日、病気にて35歳没)、作品初演後まもなく亡くなったジャンニ・ヴェルサーチ(1946年12月2日 - 1997年7月15日、50歳、銃撃にて没)、そして、1996年当時、死病として恐れられていたエイズで亡くなった多くの人々、さらに、世界中の、若くして夭折した人々にささげられている。
3.作品の構造
「バレエ・フォー・ライフ」の作品としての構造は、クラシックバレエの有名な作品である、「ジゼル」「白鳥の湖」「ラ・バヤデール」の構造に似ている。「バレエ・フォー・ライフ」の構造は、重層的で複雑だが、クラシックバレエの正統的な構造を踏襲している。類似点とは、具体的には、これらの作品が、現実の世界と、死後の世界の2つを描いていることである。
もうひとつの構造的な特徴は、複数の対立軸が含まれていることである。それらを以下に示す。
現実の世界 - 死後の世界
現実の人物 - 抽象的な人物(死の擬人化など)
過去 - 未来
ベジャールは、作品において、実在の歴史上の人物を主題にすることが多かった。ワグナー (1965)、ニジンスキー(1971)(1990)、ヘリオガバルス(1976)、モリエール(1976)、ダンカン(1976)、マルロー(1986)、三島(1988)、ピアフ(1988)、チャップリン(1992)、シシィ (1993)、ブレル(2001)、バルバラ(2001)、ニーチェ(2005)、チェーホフ(2006)などである。「バレエ・フォー・ライフ」では、フレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドンを主題とした。しかし、いずれの作品でも、実在の人物を伝記的に描くことはなく、彼らの魔術的なイメージを描いている。
また、この作品では、過去と未来の対比の一環として、歴史的に重要な男性ダンサーの対比も行われる。
ニジンスキー(Nijinsky) - ドン(Donn) - ファヴロー(Favreau)
そして、ベジャールの死後は、ベジャールバレエローザンヌの初代(ベジャール)と二代目(ロマン)の芸術監督が対比される。
ベジャール(Béjart) - ロマン(Roman)
この構造の中で、天上の世界と地上の世界という縦方向の移動が行われるとともに、過去、現在、未来という水平方向の時間軸上の移動も行われる。作品の構成はとても美しく、奥深いものである。
4.作品のタイトル
ところでこのバレエの正式のタイトルは「バレエ・フォー・ライフ」ではない。これは通称で、ベジャールがつけたタイトルは、作家ガストン・ルルー(Gaston Leroux)による古典的推理小説『黄色い部屋の謎』(Le Mystère de la chambre jaune)(1907)に登場する詩句「Le Presbytère n’a rien perdu de son charme, ni le Jardin de son éclat」(司祭館はいまだその魅力を失わず、庭の輝きも以前のまま)」である。このタイトルについてベジャールは以下のように述べている。:「この作品に、私は何のイメージも喚起しないタイトルをつけたかった。ガストン・ルルーの本を読みなおして、『黄色い部屋の謎』の中のルールタビーユ(Rouletabille)の合言葉『司祭館はその魅力もその光輝の庭も、何も失わなかった』というのをタイトルにしようと思いついた。これは、シュールレアリストによって認められ、その子を、ひそかに広まっていた言葉だとある人が教えてくれた。実際何の意味もない言葉であるが、それでいて非常に引き付けられるものがある。非常に誌的で美しい言葉である。」2)。
しかし通称である「バレエ・フォー・ライフ」、つまり、生のためのバレエ、は、テーマをよく示すものになっていると言えよう。
5.作品の上演
「バレエ・フォー・ライフ」の初演は、1996年12月15日、ローザンヌのメトロポール劇場(The Salle Metropole, Lausanne)である。1997年1月17日のパリのシャイヨー宮国立劇場(Théâtre National de Chaillot, Paris)における公演はDVD化されている。この時の公演のカーテン・コールでは、クイーンのメンバー(ブライアン・メイ Brian May、ロジャー・テイラー Roger Taylor、ジョン・ディーコン John Deacon)およびフレディ・マーキュリーの友人だったエルトン・ジョン(Elton John)が出演して演奏を行なった。
「バレエ・フォー・ライフ」は、初演後も、ベジャールのバレエ団、ベジャールバレエローザンヌ(Béjart Ballet Lausanne)にて再演をかさねてきた。日本における公演は、1998年、2002年、2006年、2008年、2021年の5回行われている(2021年現在)。
ダンサーについては、初演で、主演となるフレディ役、生を象徴する役を踊ったのは、グレゴール・メッツガー(Gregor Metzger)であり、死を象徴する役を踊ったのは、ジル・ロマン(Gil Roman)である。ジル・ロマンは、ベジャールの後継者であり、現在のベジャールバレエローザンヌの芸術監督である。
6.作品の時を超えた価値
さて、これまで述べてきたように、「バレエ・フォー・ライフ」は、もともと、ドンとマーキュリーのエイズによる死をきっかけに創作されたものである。作品の中にはこの二人の映像や楽曲が多用されている。そのため、ドンとマーキュリーをリアルタイムで見て、知っており、二人の生涯や作品に親しんでいた観客にとっては、1996年の初演時には、彼らの記憶は、まだ非常に鮮明で、突然の死のショックが後を引いている時期であり、追悼の気持ちを共有して、作品にのめりこむのは容易だった。
また、1996年の初演時には、エイズは一度罹患してしまうと、高い確率で死に至る恐ろしい病気であり、性交渉で感染することもあったために、当事者にとっては、偏見とも戦わなければならない苦しさもあった。
しかし、2021年の今となっては、ドンとマーキュリーの死からは30年ほどが経過しており、ベジャールバレエローザンヌのダンサーたちにとっても、映像などで彼らを知る時代になった。さらに、エイズは適切な治療を行えば、必ずしも死に至る病ではなくなり、LGBTQへの偏見も大きく解消されている。
つまり、初演当時の文脈はすでに失われてしまった。
こうした時代になっても、「バレエ・フォー・ライフ」を上演する意味はあるのだろうか。その意味はあると思われる。以下にその理由について述べる。
1つ目の理由は、ドンとマーキュリー、さらにはモーツァルトやヴェルサーチの作品が、力を失っておらず、初見の観客にも訴えるものを持っているためである。
2つ目の理由は、ベジャールが創作にあたり、故人にオマージュをささげながらも、作品のテーマを、人間にとって普遍的な、死、生、性とし、それらを、美しく独創的なダンスと、緊密な劇的構成、演出で提示しており、大変な強度のある作品、つまり、古典としての普遍性と永続性を持つ作品としてまとめているからである。
「バレエ・フォー・ライフ」の普遍性は、はからずも、2021年の来日公演で強く示された。この時点では、エイズにかわり、コロナが社会に蔓延し、人々の生活を大きく変え、外出自粛の要請にともない、仕事を失う人も多くあらわれた。
舞台芸術の世界への影響は特に深刻だった。新型コロナウイルス感染症の拡大により,日本では2020年におけるライブエンタテインメントの市場規模は1,836億円となったと試算されている。2019年の市場規模は6,295億円であったので、対前年度比で70%市場が縮小したことになる3)。
ベジャールバレエローザンヌによる「バレエ・フォー・ライフ」の来日公演は、当初、2020年5月に予定されていたが、コロナ禍のためいったん2020年9月に延期され、さらに、2021年10月に延期して、緊急事態宣言があけたため、ついに実現、カンパニー53名の来日が可能になった。
この点についてジル・ロマンは以下のように述べている。:「以前はエイズ、いまはこのコロナウイルスと状況は変わっていますが、そういった状況下で、生と死の関係、自由を謳歌することなどの意味が深まり、新しい意味を生んでいるように思います。それがモーリスの作品の持つ力でもあります」4)。
7.作品の詳細
続けて作品の詳細について述べる。なお、言及した出演者名は、2021年10月14日木曜日18:30の来日公演のものである。
オープニング(Opening)
客電がすべて消され、闇につつまれ、スモークがたかれるなか、舞台のフットライトがいっせいに、いく筋もの白い光を放ち、ロックコンサートのような幕開けを迎える。クイーンの「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」(It's A Beautiful Day)が鳴り響くなか、舞台上には、白いシーツをかけて全身を覆ったダンサーが十数人寝そべっている。朝の光のなか、小鳥がさえずり、生命の誕生のシーンが演じられる。そして、最初に、フレディ役のジュリアン・ファヴロー(Julien Favreau)が上体をおこし、肩のあたりまでシーツを下げて顔を見せる。その後、一人ずつ、起き上がり、ダンサーたちが誕生する。衣装は、白のレオタードやユニタードなどで、黒い線のデザインがほどこされているが、全員が異なるものである。そして、電子音が鳴り、ダンサーがストップモーションのようにポーズをとる中、クイーンの「タイム」(Time)が流れ、ダンサー全員をダイナミックに使ったフォーメーションが展開する。シーツを全員で上空に向かって放つシーン、シーツを丸めて隣のダンサーに受け渡すシーンが演じられる。そして「レット・ミー・リヴ」(Let Me Live)へ曲は展開、フレディが口をあけてジャンプし、群舞が繰り広げられる。フレディを中心に、すべてのダンサーが円を描き、声を出しながら状態をそらすシーンが印象に残る。
クイーン「ブライトン・ロック」(Queen, Brighton Rock)
ブライアン・メイによる「ブライトン・ロック」のギターソロが鳴り響き、ソレーヌ・ビュレル(Solène Burel)を中心としたダンサーのダンスが繰り広げられる。舞台奥に死を演じるガブリエル・アレナス・ルイズ(Gabriel Arenas Ruiz)が椅子を持って登場する。ギターに合わせて身体を痙攣させるようなダンスが繰り広げられる。
フレディのセリフ
そのさなか、ファヴローが黒いかつら、黒いシースルーのノースリーブのトップスに黒いパンツという姿で乱入する。
ファヴローはOh. Yes! のセリフを叫び、ルイズからマイクを渡される。そして、ロックスターらしい、けれん味たっぷりな、せりふ回しと叫び声で以下を宣言する。
Excuse me Brian for stopping your music. I really love "Brighton Rock",
but now it must be "Heaven for everyone".
(きみの音楽を止めてすまない、ブライアン。『ブライトン・ロック』は
本当にいい曲だけど、今は『みんなのための天国』が必要なんだ。)5)
ファヴローはかつらをはずす。
クイーン「ヘヴン・フォー・エヴリワン」(Queen, Heaven For Everyone)
風の音とともに、舞台は天国に移動する。ルイズが死んだ人の遺体を天国に運び込む。「ヘヴン・フォー・エヴリワン」の音楽とともに、舞台中央では、死んでしまった少年役のマッティア・ガリオット(Mattia Galiotto)がよみがえってゾンビのようなしぐさもまじえて踊りはじめる。少年は天国にいながら、まだ、現世への未練を残している。この少年は多くの場面で登場する重要なキャラクターである。彼は、作品の進行とともに時間を逆行し、この場の、天国、すなわち死後の世界にいる来世の姿から、病院での遺体になり、さらに、時間をさかのぼって、青年になって舞踏会で踊り、少年になって純愛を演じる。
続いて、両手に透明な羽をもった天使や、羽を肩につけモニターの下駄をはいた天使がゆっくりと歩いて舞台を横切り、さらに、フレディの映像を映したモニターを持った女性ダンサーが2名、舞台を横切っていく。天国にいるフレディの様子を可視化したシーンのようでもある。
そこへ、ファヴローが登場する。衣装は、肩と手足はおおわれているが、胸だけが大きく開いた黒いシースルーのユニタードである。天国の様子を見ながら、ファヴローは、両手で自分の体を胸から腰にかけてなでるように触り下ろして、痙攣するように笑い、自分のエロティシズム、性的魅力を全開にする。エリザベット・ロス(Elisabet Ros)が黒いレースのドレスをまとって登場する。ファヴローはロスに引き付けられる。
クイーン「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(Queen, I Was Born To Love You)
雷鳴とともに、花嫁が登場するが、彼女は、無表情で死人か人形のようである。「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」の曲が始まり、ファヴローは、花婿を演じる。彼は花嫁に指輪をつけてやるが、彼女への扱いは粗雑で、首をつかんでふりまわすなど、荒っぽい。舞台前面では、ロスが、死の天使として、激しいダンスを繰り広げ、ファヴローを誘惑する。花婿は、哄笑しながらも、死の天使に引きつけられ、目が離せなくなる。ついに花婿は、花嫁を置き去りにして、死の天使に向かう。これらの役を演じたファヴローとロスは、舞台上で距離があっても、パ・ド・ドゥを踊っているかのような、連動した、見事なダンスを繰り広げる。最後に花婿は無造作に、乱暴に花嫁を連れて去っていくが、心が死の天使にあることは隠せない。
ここで登場する黒いレースのドレスをまとったとロスの役について、バレエ研究家の赤尾雄人氏は、Facebookにおいて以下のようにコメントしている。:「『黄色い部屋の謎』とそれに続く『黒衣婦人の香り』はルル―のミステリーの中でも代表的な作品であり、特に後者のタイトルにもなった黒衣婦人は両作品のカギとなる女性=主人公ルールタビーユの母なので、ここにベジャールの実母に対する恋慕の念を重ね合わせることもできるかも知れない」。ロスは、この役の初演者ではないが、ベジャール作品において、多くの母的な役を演じているダンサーであり、この指摘が正しい可能性は高い。
クイーン「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(Queen, I Was Born To Love You) 第二の解釈
この曲は別の解釈も可能である。ロスが演じる黒衣の女性は、パートナーであるファヴローを失ったばかりの未亡人である。彼女は悲しみと、パートナーへの愛について踊る。そして、ファヴローの役はその死んでしまったパートナーである。ファヴローがエスコートする花嫁は、ロスの過去の姿であり、同時に、彼を死にいざなう天使でもある。ファヴローはロスを愛しているが、いやおうなしに、死に引き込まれていく。
モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(Mozart, Così Fan Tutte)
ファヴローのOh. Yes! のセリフとともに、音楽は、それまでのクイーンの曲から、モーツァルトの曲に転じる。クラシカルなドレスをまとった大橋真理、ルイズら4人の男女により、「コジ・ファン・トゥッテ」の声楽曲に合わせて、上半身をゆらすダンスが行われる。
クイーン「カインド・オブ・マジック」(Queen, A Kind Of Magic)
イギリスのパブリックスクールの学生の制服のような、白、または黒のジャケットに、シャツ、ネクタイの衣装をまとった数人の男性ダンサーと一人の女性ダンサーが登場する。「カインド・オブ・マジック」の音楽に合わせて数名の男性ダンサーらが、舞台の奥から手前へと速足で行き来しながら、曲に合わせて途中で中腰になる。リズミカルな、手を使ったダンスが繰り広げられる。フレディ役のファヴローが登場して踊り、少年役のガリオットを椅子替わりに座り、正面を向いてポーズをとる。最後に、曲に合わせて、ファヴローが Magic!と言って、この場面は終わる。
モーツァルト「エジプト王タモス」への前奏曲(Mozart, Thamos, König in Ägypten)
場面は急転し、ルイズによるダンスがモーツァルトの曲によって繰り広げられる。このシーンはジル・ロマンのために振り付けられたものであり、鋭い動きや、深いプリエなどが多用されている。テーマは、死であり、生のさなかに襲ってくる死の恐怖を表現している。
クイーン「ゲット・ダウン・メイク・ラヴ」(Queen, Get Down, Make Love)
大橋、ルイズらによるダンスが展開する。ルイズにより以下のセリフが発せられる。
Vous nous avez dit : Faites L'amour, pas la guerre
Nous avons fait l'amour
Pourquoi l'amour nous fait-il la guerre?
(あなたはおっしゃいました。"戦いをやめて、愛し合いなさい"と。
だから、わたしたちは愛し合いました。
なのに、どうして、愛は戦いを強いるのでしょうか?) 5)
ファヴローが登場する。衣装は、黒のレザーパンツ、黒の警察帽をかぶり、上半身は裸である。このスタイルはフレディのアイコニックなスタイルのひとつであり、典型的なゲイファッションでもある。そして、ファヴローにより、本作のタイトルとなる、以下のセリフが発せられる。
Le Presbytère n'a rien perdu de son charme, ni le jardin de son éclat
(司祭館の美しさはいささかも薄れず、その庭のみずみずしさもまた同じ。) 5)
モーツァルト「ピアノ協奏曲21番」(Mozart, Piano Concerto N°21)
一転してモーツァルト「ピアノ協奏曲21番」が流れる中、多色を用いた美しいドレスの女と、赤いスニーカーとタキシード風の黒い優雅な衣装を着た男による、舞踏会風のパ・ド・ドゥが、美しく感傷的に繰り広げられる。
舞台の後方では、男女2組の看護師が、遺体であることを示す全裸風のレオタードを身に着けた男女2人を、別々の二台のストレッチャーに寝かせて運び入れる。着飾った男女は相変わらず踊り続けるが、彼らは、遺体となった男女と同じ人物の過去の姿を表現しており、瀕死の2人の最後の想念として、過去の思い出がよみがえって、踊っているのである。今は2人は病院で死んで遺体となり、かつ、別々の場所にいるため、手を取りあうことさえできない。しかし、2人は、お互いを強く求めて、ストレッチャーの上で動作を繰り返す。最後に、遺体に代わって、着飾った2人がストレッチャーに乗せられ、看護師によって運び去られていく。後には寂寥感をそそる風の音だけが残る。
そして、舞台上の、離れた場所にとり残された男女の遺体を、死を演じるロスとルイズが引き寄せ、手をつながせてやり、愛し合う二人を結び付けるところで暗転する。バレエ・フォー・ライフは、死を描いているが、この場面のように、死後も愛によってむすびつく男女を描写もしている。つまり、死が、すべてを破壊するのではないという、希望を感じさせるバレエでもある。
ところで、この場面で、遺体を演じる男性は、天国のシーンで登場した少年役のガリオットである。前述した天国における、彼の死後の姿は、時系列的にはこの場の後になる。さらに、作品の終盤で踊られる「ウインターズ・テイル」の場面では、もっと若いころの同じ男性の姿を、ガリオットが演じることになる。
なお、ベジャールは、1979年に「メフィスト・ワルツ」(Mephisto Walzer)を発表している。この作品では、メフィストが、ストレッチャーの上に横たわる遺体を、舞台に運び込む。彼は遺体をよみがえらせる。遺体は、よみがえって、踊る。しかし、最後に、メフィストが遺体となり、死者によって運ばれていく。「バレエ・フォー・ライフ」で見られる、生者と死者が入れ替わるモチーフは、ベジャールに取って重要なものであると言える。
クイーン「シーサイド・ランデヴー」(Queen, Seaside Rendezvous)
一転して、明るい浜辺での、若い人たちの楽し気な姿が表現される。しかし舞台のすみには、遺体となった少年が残っており、場面を異化し、この世のはかなさを感じさせる。後半、ファヴローが、フレディのアイコニックなスタイルの一つである、バナナの帽子をかぶって陽気に登場する。
クイーン「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」(Queen, You Take My Breath Away)
銀のメタリックなボールを使って、メロウな美しいダンスが展開する。ファヴローが登場する。衣装は、胸を大きく開いた、白いユニタードである。ファヴローは女性ダンサーに対峙する。彼女はファヴローに指さされて、後ろに数歩動き、床に寝そべると、白いシーツをかけられて、死んでしまう。ファヴローは、シーツをかけられた遺体の前に立つ。そして、彼女の死を悼んで、ゆっくりと両手を広げる。
マルクス・ブラザーズ(Marx Brothers)の写真、音声とフレディの音声
ここで唐突に、舞台の左右に置かれたスクリーンに、1910年代から40年代にかけて活動したコメディアン、マルクス兄弟の白黒写真が提示され、映画の音声が流される。このシーンが挿入される理由について、評論家の乗越たかおは、「(この後踊られる、「ラジオ・ガガ」のシーンの)真っ白い壁に囲まれた小さな部屋へ、次々とダンサーが入ってきてギッシリとなってしまい、ついには壁が倒れるというシーンがある。・・これは、マルクス兄弟の代表作、『オペラは踊る』(1935年)という映画の有名なギャグ(狭い船室に次々と人は入ってくる)のパロディだからだ。『オペラは踊る』の原題は『オペラ座の夜 A Night At The Opera』であり、これこそがクイーンの代表作にしてこの舞台の要でもある「ボヘミアン・ラプソディ」が収録されているアルバムのタイトルなのである。さらに、このアルバム発売時に、クイーンが、マルクス兄弟から、『僕らと同様の成功を祈る』という祝電を受け取っていたのもファンの間では有名な話だ。」6)。さらに乗越たかおは、2021年10月の来日公演観劇後のTwitterに以下のように書き込んでいる。:「ベジャール世代のフランス人は古いハリウッド映画は大好きなのだ。 古いハリウッド映画は欧米のダンスの源泉のひとつなので、ダンスを研究する人は必須の知識である。」
モーツァルト「フリーメーソンのための葬送音楽」(Mozart, Maurerische Trauermusik)
天井から、数枚の、巨大なレントゲン写真が吊り下げられる。人間の手や、骨盤、背骨、足、などのレントゲン写真であり、これらは、病院における、死病の告知や、死の恐怖、不安を思わせる。ベジャール自身がドンが入院していたセシル病院に通っていた時の、実体験と、不安が、この場面には色濃く反映している。そして、モーツァルトの曲に合わせて、ルイズが、死を恐れ、不安に駆られながらも、死と戦う人間の様子を激しく踊る。しかし最後には、主人公は、もしくはベジャールは、死を受け入れたのか、微笑みながら、手を振って舞台から去り、天国へ向かって旅立っていく。
クイーン「ラジオ・ガガ」(Queen, Radio Ga Ga)
フレディの「エーオ」の声と、それに呼応する、過去のコンサートの観客の声が鳴り響く。そして、「ラジオ・ガガ」のシーンが始まる。真っ白い壁に囲まれた小さな部屋が舞台上に設置され、黒いパンツ姿の男性ダンサーが一人、また一人と入っていっていく。そこへ、赤のタイツ姿のダンサーと、フレディ役のファヴローが登場する。ファヴローは、胸の大きく開いた赤いユニタードに赤い皮のジャケットを着ている。曲に合わせて激しいダンスが展開し、クイーンのコンサートではおなじみの手拍子が、客席からも寄せられ、ロックコンサートのような様相を呈する。途中で、フレディ役のファヴローは、赤のタイツ姿のダンサーの手首をつかんで、箱の中にはいり、セックスシーンが演じられる。そして、クラシックなラジオが花嫁によって持ち込まれてこの場は終わる。
クイーン「ウインターズ・テイル」(Queen, A Winter's Tale)
「ラジオ・ガガ」で用いられた白い壁に囲まれた小さな部屋はそのまま残され、一転して、若い二人の男女のカップルのロマンティックな愛の場面となる。男は羽枕の中から羽を取り出し、高く放り、まるで雪のように羽が二人にふりかかる。彼らはほとんど全裸であり、女性もトップレス姿である。そして、ここでも、セックスシーンが演じられる。しかし、いやらしさは全くなく、夢のような、若さと美しさが、幻想的に提示される。この男女の未来は、前述したように、この作品の中で、天国にいる来世の姿、病院で遺体となった姿、青年期の着飾った姿として示されてきた。若い二人の姿に寂寥感がただようのは、彼らが、決められた未来に向かって進んでいくのが観客にはわかっているためであり、ベジャールの天才的なストーリーテリングの成果である。
この場面の最後に、ルイズが現れ、たくさんの白い花が、若い二人のはかない愛を祝福するかのように、また、将来の別離と死を悼むかのように、撒かれる。
舞台にちらばった羽や花を、黒子がかたづけるなか、ルイズが登場する。ルイズは、エイズについて、4つの文字が象徴する言葉を以下のように語る。
La lettre S : silence, solitude, spectacle
La lettre I : incertitude, isolement, idéal
La lettre D : dérision, douleur, distance
La lettre A : analyse, angoisse, amour
(Sの文字:沈黙、孤独、スペクタクル
Iの文字:不確実性、孤立、理想
Dの文字:嘲弄、苦悩、距離
Aの文字:分析、苦悶、愛)
(SIDAはフランス語でAIDS) 5)
黒衣の複数の女性ダンサーが、エイズで死んだ人々を追悼して、彼らの名前を呼ぶ。ファヴローがゆっくりと歩いて舞台を横切っていく。この時のファヴローの衣装は、フレディのアイコニックなスタイルである、王冠にヒョウ柄のマントである。
亡くなった人々を追悼していた女性たちが、最後に、フレディの名を叫ぶ。派手な衣装を着たファヴローは、すでにこの世の人ではなく、ファンや大衆のなかにある、フレディの幻影を示している。
プラターズ「ザ・グレート・プリテンダー」(The Platters, The Great Pretender)
次に間奏曲が鳴り響く。クイーンの作品ではなく、フレディが1956年のプラターズによる作品をカバーした曲の前奏が使われている。アンサンブルダンサーたちのOh,Yes!のセリフにかぶせて、ファヴローが哄笑する。
クイーン「ミリオネア・ワルツ」(Queen, The Millionaire Waltz)
続けて、英国国旗ユニオンジャックをまとった男性ダンサーが登場し、God Save the Quenn!と叫んだあと、軽やかにミリオネア・ワルツを踊る。そこへファヴローが、黒いシースルーのパンツ、銀のベルト、裸の胸に黒革のジャケットを羽織って登場し、哄笑したり、ルイズと対峙したり、死の天使とともに踊ったり、壁に押し付けられたりする。そして、ルイズからファヴローはマイクスティックをあたえられそれを持って踊る。このマイクスティックも、フレディのアイコニックなグッズである。コンサート中に折れてしまったマイクスタンドをフレディが気に入って使っていたといういわれがある。最後に、ファヴローは、男性ダンサーたちに高く持ち上げられて、舞台から去る。
クイーン「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」(Queen, Love Of My Life)
大橋、ルイズらにより、男女二組の愛が、美しく演じられる。
クイーン「ブライトン・ロック」(Queen, Brighton Rock)
作品冒頭で用いられていたブライアンのギター曲が再度演奏され、そろそろ、作品が終わりに近づき、生と死の円環が閉じることが予告される。
そこへ、ファヴローが走りこむ。ファヴローの衣装は、金髪のかつら、シースルーの女性用の黒のベビードールで、女装しており、フレディがミュージックビデオで女装していた姿を思い起こさせる。彼は舞台中央で後ろ向きになって、腰をくねらせ、叫んで、舞台を去っていく。そのあとに、作品冒頭で用いられていた白い衣装を着たダンサーたちがシーツを持って、登場する。
クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」(Queen, Bohemian Rhapsody)
ついに、クイーンの代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」が演じられる。舞台の中央に、ファヴローが登場する。胸を大きく開いた、シースルーの白いユニタードに、銀の大きなメダルのついたネックレスをつけている。靴はボヘミアン風の厚底靴であり、これにより、まるで歌舞伎の花魁道中のように、動きが制限され、かつ、見世物のようにも見える。動きはダンスというよりも、ゆっくりとのけぞったり、手で多彩なポーズをとったりする、静止画のようでもある。ボヘミアン調の柄の描かれた布が、彼に、最後に、かぶせられる。
舞台中央にスクリーンが降りてくる。そこへ、黒いタイツのルイズが現れ、逆光のなかで踊る。彼の影がスクリーンに投影される様子は、映画のようでもあり、死への儀式のようにも見える。このシーンの最後で、ルイズは両手を真横に広げ、十字架を作り、舞台袖に、はけていく。
このシーンは、ニジンスキーの生涯最後のダンスを連想させる。ニジンスキーは、1919年の、最後のダンスで、白い布を用いて十字架を作った。そして、彼は、そこでイエスキリストのように、殉教した。ニジンスキーが白い布を使ったことにならい、ベジャールは「バレエ・フォー・ライフ」において、白いシーツを使ったのだ。
クイーン「ブレイク・フリー」(Queen, I Want To Break Free)
スクリーンに、亡きドンのさまざまな映像が映し出される。それらは、ベジャールによって、「ブレイク・フリー」の曲と完全に同期するように編集されており、目の前でドンが踊っているかのような印象を与える。「マリオネットの生と死」「ニジンスキー・神の道化」などからの抜粋であるが、苦し気で、血を流すようなシーンが多く使われ、また、キリストの十字架上での殉教シーンもあり、死というものを美化することなく、リアルに示すものになっている。初演当時はドンの死から間もなかったこともあり、この映像は、観客に大きなショックを与えた。また、曲が「ブレイク・フリー」であることから、ドンは、そしてフレディは、今は、天国で自由を手に入れることができたのだろうかと、多くの観客に思わせ、泣く客も多かった。
このドンの映像が映されるスクリーンの両脇には、ダンサーたちが、座り、観客とともに、それを見ている。このシーンでは、ただ座っているダンサーも多いが、フレディ役のファヴローは、真剣な表情で遠くを見つめ、ドン、そして、ベジャールの生と死に思いをはせ、深みのある求道的ともいえる演技を見せていた。はじめて主役であるフレディを演じていた時には若手だったファヴローも、2021年には、大スターとなり、映像のドンと同じ年代に達している。ファヴローは、自らのキャリアも終わりに近づき、そう遠くない将来、自分もドンやベジャールのもとに行くことを想像しながら、深い思いをはせていることがよくわかった。ファヴローはダンサーとして並外れた表現者であるだけでなく、座って表情を見せるだけで、素晴らしい場面を作り出すことができる演技者であることがわかるシーンとなっていた。
クイーン「ショー・マスト・ゴー・オン」(Queen, The Show Must Go On)
スクリーンが上がり,オープニングと同じ白い衣裳をつけ、白いシーツを持ったダンサー全員が舞台に登場する。ファヴローは、「ボヘミアン・ラプソディ」から身に着けている白いユニタードのままである。「ショー・マスト・ゴー・オン」が流れるなか、シーツを空に向かって投げるような、オープニングと同じ動きが繰り返される。この場面は、作品の最終場面であり、生をまっとうした人間の死を描くが、それは、オープニングの誕生シーンに直接的につながっており、生と死は循環していることをはっきりと示す。最後は、全員が横たわり、シーツを身体の上にかけ、死の眠りのなかへ沈んでいく。しかしそこに絶望はなく、次の生への希望がある。暗転し、作品が終わったことが観客に提示される。その後、ダンサーが起き上がり、シーツをはずして、拍手を受ける。
カーテン・コール(Curtain Call)
舞台が暗転してダンサーがいったんはけ、舞台が明るくなると,舞台の上に、初演時にはベジャールが、今はベジャールの後継者としてカンパニーを率いるジル・ロマンが、黒衣を身に着けて1人で立っている。再び「ショー・マスト・ゴー・オン」が演奏される。ロマンの招きで、出演したダンサーが、1人で、また2人で、駆けよって、ロマンと抱擁や握手をかわす。フレディ役のファヴローは特に丁寧にロマンにより迎え入れられる。そして、全員がそろうと、肩を組み、ロマンを中心に全員でゆっくりと、観客に向かって歩いてくる。
このシーンは、ドン、フレディ、そしてベジャールなどの亡き人々は、私たちの中に今も生きており、その思いや作品は時代を超えて、若い人、次の世代に受け継がれ、永遠の命を持つことを、はっきりと示していた。2021年来日公演の千秋楽となった2021年10月17日日曜日14時公演のカーテン・コールには、当日出演していなかったファヴローとロスも登場し、ロマンを支えるかのように、彼の両脇に立った。ファヴローは、黒いシャツ、黒いパンツの正装に、フレディ役で用いる赤いスニーカーを身に着けており、ロスは、黒に花柄の着物のような美しいトップスを着ていた。この3人、すなわち、ロマン、ファヴロー、ロスが、直接ベジャールから教えを受けた最後の世代であり、彼らこそが、現在のベジャールバレエローザンヌそのものであって、彼らのなかに、たしかに、ベジャールが生きていることが、はっきりとわかるカーテン・コールとなった。
来日公演の招聘者、主催者である日本舞台芸術振興会(NBS)にとっては、この場面は、2021年のコロナ禍の時代にあって、特に重要な意味を持つものになった。NBSは、「コロナ禍においても献身的に芸術に身を捧げ、数々の困難を乗り越えて来日を果たすダンサーたちの姿は、フレディの叫ぶショウを続けなければならないという力強い歌詞に呼応し、観るものを感動と興奮の渦へといざなう」7) 。「コロナ禍で喘ぐ舞台芸術の世界を鼓舞してくれているように思える」8)と述べている。
8.プリンシパルダンサー、ジュリアン・ファヴロー(Principal dancer, Julien Favreau)
最後に、フレディ役を演じたプリンシパルダンサー、ジュリアン・ファヴローについて述べる。ファヴローは1995年に入団、1996年の「バレエ・フォー・ライフ」初演には群舞に出演していた。その後、フレディ役を演じるようになり、2021年の来日公演時にいたるまで、20年以上に渡りフレディ役を踊り続けている。
通常の古典バレエ作品の創作には、ダンサー個人の影響は少ないが、ベジャール作品の場合、ダンサー個人の影響が極めて大きい。ベジャールは、ダンサーについて以下のように述べている。:「偉大なダンサーは私に多くのことをもたらしてくれる・・彼らがにっこりと微笑もうものなら、すぐにその微笑みが、それだけでもう私の振り付けよりも素晴らしく、ずっと面白く、ずっと新しく、ずっと真実であるように思えてしまう。・・天賦の才を持った者だけが私を夢中にさせる。私は圧倒されるような偉大なプロフェッショナルが好きだ。そういう人であれば、何をしようとそれでいいのだ。」「彼らはありきたりなことを熱狂的なものにするという天賦の才能を持っている」2)。
ファヴローは、この「偉大なダンサー」である。ドンの作品を受け次いで踊ることも多い。ファヴローは以下のように述べている。:「ジョルジュ・ドンが踊った役で、私が引き継いだものもたくさんあります。しかし、私は常に自分のバージョンをやろうとしてきました。」9)。
ファヴローは、ドンの役を継いだだけではない。今や、彼は、ドンを超えるダンサーとなった。そして、ファヴローは、ニジンスキーの後継者ともなった。しかし、彼は最初からそのように偉大なダンサーだったわけではない。最初から、資質には恵まれていた。美しく、強くてしなやかな身体、ベジャール作品に主演するのに不可欠な、狂気を含んだ過剰さは、最初からあった。それらを大切に生かし、30年近い長い時間をかけた訓練、技術の習得、作品への理解、多くの舞台経験、深い思索を経て、彼は、自らを「偉大なダンサー」として作り上げたのだ。
フレディ役というのは、そうした資質と訓練の両方を要求する難役である。フレディ役を初演した際の経緯について、ファヴローは以下のように述べている。:「バレエ・フォー・ライフのフレディ役のダンサーがやめることになりましたが、彼はフレディ・マーキュリーに本当に身体的に似ていました。モーリス・ベジャールは誰に役を与えるか悩んでいましたが、私を起用して役をやらせないかと提案したのはロマンでした。そして、モーリス・ベジャールが私に会いに来て、『私はダンサーのファヴローではなく、君の中のロックスターを見たいんだ!』と言いました。」9)。
フレディはロックスターであってバレエダンサーではないため、それを表現する演技力が求められる。体の使い方も異なる。たとえば肩の位置は、通常のバレエで用いられるなめらかなラインを捨てて、ロックスターらしい、ごつごつしたラインを用いることが必要になる。フレディ役を演じるということは、バレエテクニックを用いながら、全くバレエ的でないラインを使ったダンスを、2時間にわたって踊らなければならないことを意味し、演じるのは容易なことではない。
しかし、2021年の日本公演(2021年10月14日木曜日18:30公演および、2021年10月16日土曜日14:00公演)において、ファヴローは、明るく、非常に楽し気で、エネルギーに満ちた、圧倒的なダンスを見せた。一瞬一瞬をいつくしむように、生きている時間を、今、ここで踊ることができる喜びを、観客と時間を共有することのできる喜びを踊った。
ファヴローは現在、43歳である。通常であれば、ダンサーとしては引退が近い年齢となった。ファヴローは以下のように述べている。:「ツアーに疲れていないかと聞かれるなら、いいえ、と答えます。大好きな、自分にふさわしい人生なので、もう少し楽しみたいと思っています。今年で42歳(2019年現在)になるので、以前よりも少し踊る量は減っています。もし私がパリ・オペラ座にいたら、今年は私の引退の年になるでしょうね。全力を尽くし、少しでも長く踊りたい。」9)。
ファヴローは、ダンサーとして円熟した。そして、彼は、「バレエ・フォー・ライフ」という死をテーマとする作品の主役を演じるにあたって、怯むことなく、命の輝きをまぶしいほどに示した。フレディの演技は圧巻の傑作と言えるものであり、満席の観客を魅了した。
<参考・引用文献>
1)乗越たかお(2006)『コンテンポラリー・ダンス 徹底ガイドHYPER』作品社
2)ベジャール著、前田允訳(1999)『モーリス・ベジャール回想録 誰の人生か? 自伝Ⅱ』劇書房
3)ぴあ総研(2020)「ぴあ総研、2019年のライブ・エンタメ市場が6,000億円を突破し過去最高となる速報値を公表。2020年のコロナ禍の影響を試算」
URL: https://corporate.pia.jp/news/detail_live_enta_20200630.html
4)ジル・ロマンインタビュー(2021)「ダンスマガジン2021年11月号」新書館
5)日本舞台芸術振興会(2021)「バレエ・フォー・ライフ対訳」
URL: https://www.nbs.or.jp/publish/news/2021/10/post-866.html
6)乗越たかお(2006)『コンテンポラリー・ダンス 徹底ガイドHYPER』作品社
7)日本舞台芸術振興会(2021)「クイーンの名曲に振り付けられた魂のバレエが2度の延期をへてついに実現。18歳以下は無料招待! モーリス・ベジャール・バレエ団2021年日本公演、まもなく開幕!」PR TIMES
URL: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000042570.html
8)日本舞台芸術振興会(2021)「ベジャールバレエローザンヌ2021年日本公演プログラム」
9)ジュリアン・ファヴローインタビュー(2019)「『ボレロ』の最後に、自分がどんな状態になっているかわからない」DALP、ジャン・フレデリック・ソーモン、2019年11月4日
URL:https://www.dansesaveclaplume.com/pas-de-deux/1100960-julien-favreau-je-ne-sais-jamais-dans-quel-etat-je-serai-pour-la-derniere-phrase-du-bolero/
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